2008年4月7日 月曜日 曇りのち雨
今日は通勤途中にピカピカの一年生と
同じくピカピカのスーツ姿の両親を多数発見。
きっと近所の小学校の入学式。
この小さな町で一番好きな景色をしばらく見入っていたかったのだが
ハンドル操作を誤ってあの列に突っ込まないように・・と
そろりそろりと慎重に通り過ぎる。
今日は先日の三渓園の夜桜そぞろ歩きの場面を反芻しながらの作業。
人々は年に一度艶やかにぱっと咲いて
あっさりと散ってしまう桜にあはれを感じて愛しむ。
いつものクセで自分が古木の桜になって人を見てみる。
するとどうだろう。
桜より寿命の短い人間のほうがよっぽどあはれで愛しいではないか。
古木桜の目線では ほんのちょっとしか生きられない人間たちが
年に一度満開の枝の下で宴会などするほうがよほど哀しく愛しい。
桜が優しくしてくれるのはそこだったのね・・・と理解すると同時に
いつかゴルフ場でメタセコイアが投げかけてくれた同じ目線の謎が解ける。
せめて人はその哀しくも愛しい時間を大切に刻む以外手はない。
それと同時に”他者のもち時間”も愛しく思えるようになる。
このヒリヒリを心にもっていれば人との接し方も変わるかもしれない。
姥桜に沢山を教わったキネジコでした。
添付写真 「紅おしろい・遊びをせむとや生まれけむ」